Archive for 8月, 2007

2007/08/31

『ガラスの艦隊』 第26話&番外編

mihimaruGTによる主題歌は好きだった。
 
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関東では、この最終回が地上波未放送だったのでANIMAXでの放送を機会に観た。
 
やっとこさっとこ形にしました、という印象。死ぬべき人が死に、残るべき人が残り。
 
ミシェルが沈みかけの自分の艦から脱出した後、敵艦から攻撃を受けそうになってあわや、というときに、死んだと思って残してきたミシェル艦のブリッジ要員が実はまだ生きていて艦を操って敵艦にぶつけることで助かる、ってそんだけ動けた人間を“死んだ”と判断して置いてきちゃうってどんだけアバウトだよ!ちゃんと確かめてやれよ!艦内でも離れた場所のクルーだったわけでもなく、目の前にいた仲間だろ!
 
あちこちにある、こういった、話の都合のための雑さが腹立たしい。
 
っつか、ヴェッティは最終的に、あんなポジションに収まって満足なのか?あんだけ野望に溢れていた男が。クレオを取り込んだといっても、そのクレオだって自らの手で王家復興を成そうとしてた男だし、誰かの上に立つことに固執はしないかもしれないが、だからといって誰かの陰にいることを良しとするタイプではなかったと思うんだが。疾風は止んだ。
 
ミシェルを中心とした体制ができました、ってところまで描くので精一杯だった感。
 
ヴェッティのセリフを借りるなら
「教えてくれ、この作品は何を求めていたというのだ」
 
 
 
“番外編”ってなにかと思ったら、朝日放送で本編放送終了後に流された特番らしい。
 
局の女子アナがシルアのメイド服コスプレで進行役。媚びてる媚びてる。
 
この作品の世界とあらすじをざっと総ざらい、そして監督&メインキャスト3人へのインタビュー、といった内容だったが、甲斐田裕子が顔出しで喋ってるのを見るのは多分、初めてだったのでそこは収穫。『ヤングスーパーマン』からけっこう好きなんだ、この人。
 
 
でも監督が、領土戦艦や、息も出来るし重力もある宇宙空間など、この作品独自の世界観を作り上げてることに自負あり、みたいな発言をしてたけど、作品のデキから見ると、荒唐無稽な良さ、というよりもメンドクサイところを端折るのに便利なだけの設定のように思えてきてしまうのが切ない。
 
更に、あの最終回を見た直後に「アッと驚くラストが用意されてますよ」というコメントを聞くことで追い討ち。
ひょっとしてこの番外編が一番のルネッサンス。
 
 

2007/08/31

『桃華月憚』 第21話

声優、能登麻美子による脚本回。
だが、確かにサブストーリー的だし、無くても問題ない話かもしれないが、番外編というほど浮いてもおらず、むしろメインライターが書いててもおかしくないくらい、内容もあって作品にハマっているものだった。
 
 
“色”をひとつのモチーフとしたところで、自分という存在が曖昧にしか感じられず不安に苛まれている桃花を表現する、モノクロ画面という演出(オープニングまでモノクロバージョンという力の入れよう)。だけど、彼女にとって意味のあるものにだけは色がある。
 
そして終盤、夕日の中、世界が桃色に満たされていく映像と、
 
桃香への想い、想っている今という時間は本物だという確信に充ちていく桃花の心情との、綺麗なシンクロ。
 
桃花の、桃香への“ありがとう”の言葉と涙、という流れが自然に見えてきて、そしてその通りになる気分の良さ。
 
 
桃花のモノローグがかなりを占めていて、どこまで映像を意識できているのかはアヤシイところもあるし、望月智充のコンテでのフォローが大きいのは勿論だと思うが、能登の紡いだ言葉に力があったのは間違いないんじゃなかろうか。そしてオレ的にはここまででのベストエピソード。
 
相手の匂いを嗅ぎあう、とか、触れる、という行為を生々しく見せるなどの描写が多かったあたりは望月さんの仕業かな。トイレの覗き込みアングルとか、桃花が投げたアイスの棒が桃香の頭にささりっぱなし、なんかは間違いなくそうだろうし(笑)。
 
 
桃花が桃香への想いを連ねる中で、なにげなく挟まれている「私にいつまで時間が残されているのかはわからない」というフレーズは、先が分かってるゆえの切なさを感じるところ。
 
 

2007/08/28

『鉄子の旅』 第9旅

今回はなんだか菊池さんの萌え度が若干高めな作画だなあ、とボンヤリ思いつつ観ていたが。
 
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廃線が予定されているローカル線、くりはら田園鉄道、通称“くりでん”。でも『鉄子の旅』でその魅力を伝えて人がたくさん訪れれば、それも免れるかも、と意気込む横見。が、結局はいつも通り、シロウトには伝わりにくそうな狭い興味しか語らない。呆れる菊池。しかし帰路の途中、ふと、横見の本質を悟り、彼にとって列車がなくなることがどういうことかを理解する。
 
2007年3月31日、やはり“くりでん”は最後の日を迎えていたが、そこにはそれぞれのやり方でそれを惜しむ大勢の人たちの姿があった。そして夜、雨のしと降る中、本当の意味での終電を見送る観衆の中には、すすり泣く横見もいたのだった。
 
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いつもとは少し趣を異にする、情感のこもった内容。
 
こういう話をハズさないのは流石にグループタックであり永丘監督かなあ、と思ってたら、コンテが小林 治だった(『グレンラガン』で視聴者を騒然とさせたほうじゃなくて亜細亜堂のエラい人のほう)。『きら☆レボ』とか予想外のところで唐突に名前を拝見することが多いな、最近。
 
“鉄分サプリ”のコーナーで説明してくれたけど、実際に運行最終日の現地にアニメスタッフが行っていたということだ。その甲斐はあった出来だったと思う。
 
菊池さんの
 
「そうか、横見さんは鉄道に人生を捧げたんじゃない、
 横見さんが鉄道そのものなんだ、
 古い車両、古い駅がなくなる、
 ローカル線がなくなるっていうことは
 横見さんがなくなるってことなんだ」
 
という理屈は良くわかんないところもあるが(^^;
 
横見にいつも以上に偏狭な“鉄”っぷりを演じさせた前半と、ラスト、涙しながら無言で“くりでん”を見つめる姿との対比も効果的だった。