Archive for 12月, 2010

2010/12/13

(眠る気満々だったのに)眠れぬ夜に

昨夜は寝床に就いた後、なぜか『屍鬼』のことをあれこれ考え始めてしまいそこから、仮に吸血鬼が常識的に共存できている社会があり得るとしたらどんなものになるかなあ、などと考えを巡らせてしまった。
そもそも人間を脅かす種として空想されたモンスターなのだから力業しか成り立たない気はしたが、吸血鬼が秘匿されたり忌避されるべき存在ではなく誰もが認知し、吸血行為が即、“襲う”という意味に繋がらない、吸血されることが“被害”ではなく、吸血された者が“犠牲者”ではないという意識である社会とはどういう形で、彼らの社会的位置はどんなもので、そして人々はどういうメンタリティを持って接しているか。(吸血されても“仲間”にはならない、など、彼らの能力を制限するのはなし)
 
『吸血鬼ハンターD』のように、彼らが人の上位に君臨し支配している世界というのは全然、違うし。あの類は吸血鬼に対する感覚は古来のものからまったく変わっていない、延長線上でしかない。吸血鬼ハンターものは総じて無しになる。
『ダンス イン ザ ヴァンパイアバンド』なんかはヒントがあるかもしれないが、吸血鬼の存在が公にされるところ“から”始まるので、また違う。知りたいのはそれが安定した先。
『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』とかも大っぴらに認知されてるのではないしなあ。
 
などと既存の作品なんかも浮かべつつ、うだうだ考えて、とりあえず行き着いたのは、人間側に、性欲(そもそも吸血鬼モノにおける吸血行為は性行為のメタファーではないか、というのは置いておいて)などと同じ本能レベルで“吸血されたい欲”(彼らに暗示をかけられるなどではなく)が芽生えてて、『スマートに吸血する・されるコツ』みたいなハウツー本がいつの時代も出版されてる、くらいの認識になってないといかんのかなあ、というような大雑把なところまで。でも、最初に“吸血鬼の能力は変えない”としたのにだからって人間のほうをそのレベルで変えちゃえば一緒か?という自問が・・・
 
だがしかし、窓のほうを覧ると既に空が白み始めてたので時間切れだ。ヒマか。
 
実は途中でふと、この吸血鬼の扱いをどうするか考えるのって例の表現規制問題とリンクできるかも?などと横道に逸れかけたのだが、それは止めといた。