黒日


5話ずつ、2日で視聴。

思わせぶりなところで終わらせるような真似をせずに、最後まで言いたいこと言い切ったラストには賛成。

それにしても、あの監督が自分の個性を衒いもなく全面に出している作り。
それをこそ求められての起用だろうから正解なんだろう。
でも、ぶち込まれた各要素の使い方が、すべて予想の域を出ない。

そして、監督が得意とする、或いは好きそうなシーンの描写
(学生運動の雰囲気の再現、昭和的映像の色合い、下町やその商店街の異様に細かいディテールとじっくりと見せるショット、カット割りetc.。監督はクジラ怪人好きなんだろうな、って思わされる、コウモリとクジラが飲み屋の外席で昔語りするところとか、焚き火を囲んでのくだけたひとときとか)と
組み立てのために仕方なく入れてる(と感じてしまうくらいの)シーンとの、熱量のギャップ。
(国会の質疑応答シーンの、あっさりめの背景や面白みのない画作り)

バイオレンス描写は、さすが。
ただそのインパクトの強さもあって、見てる気分が、ヤクザとかチンピラの抗争映画のときのそれ。
アウトレイジかな。
ルー大柴演じる総理なんか、反社のドン(しかもだいぶ小物の)あたりにしか見えてこない。
ラスト、光太郎が信彦の待つゴルゴム党の本部に単身乗り込んで行く辺りの空気はどこの龍が如くだよと。
そういえば、実際の政党がよく使ってそうなビルのてっぺんに”ゴルゴム党”って看板が燦然と屹立してる絵っていうのの珍妙さ、間抜けさを、スタッフはどこまで自覚的なのか。
そのアオりショットが、党本部が関係するシーンの切り替わり頭に何回も、しかも毎回同じような画角で使われてたのもワロてしまうとこだったんだが、そういう受け止めかたでいいんだろうか。
荒事のシーンでの、叩き伏せた相手の頭を何度も踏み付けるカット(それを踏み付けられる側からの視点で見せるインサートも含めて)が繰り返しあったのも、狙いなのかなあ。

信じるやつがジャスティス 真実の王者(の訳っぽい並びの英語)というヘルメットのペイントを大映しにするカット入りなどはやり過ぎというかあざと過ぎだが、ところどころに見られるオリジナル版への敬意は好感が持てる。
(最終話にいきなりあの主題歌であの映像は、サービスとしても嬉しさより唐突さが先に立ってしまったが)

登場人物たちの行動に不自然さを感じることはほぼないのは良かった。
そこでおまえがそんなこと出来ちゃうの!?とか、そこで負けちゃうのか!?っていうのはちょいちょいあったにしても。

すごく好きになれるシーンやカットもあったのでギリギリ、観て損だったとまではいかない後味ではある。

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