某ラジオからの抜粋書き起こし

《前編から》


富野:宮崎のほうに行ってしまったという感覚しかない。捨てられた。

鈴木:本が売れてるときは全部、富野さん。

   宮崎でやろうといったときは部数半減を覚悟。

   富野さんとこいったら『未来少年コナン』見てる。

   「良く出来てる、でも人気は俺のほうだから」

   宮さんと一緒にやらなかったらどうなってたと思います?

   『カリ城』、大赤字ですからね。

   ちょっとホームズをやるとか リトルニモも駄目になって、ナウシカですよ。

   でもその前に、功労者、おめでとうございます。

   国の色んな賞の中で、唯一、年金が付く。うらやましい。

富野:調べたら、文化勲章しかないと下々のものに申し訳ない、ということで作られたらしい。

鈴木:是非、文化勲章までがんばってくださいね!

   富野さんがもらったら、アニメーションで働いてるひとたち、みんなが嬉しいですよ。

富野:なにいってんの。それは違うって。功労者、先にもらってるのは宮崎監督なんだから。

鈴木:あれはだって、お金に目が眩んだんですよ。(笑い)

   いらないっつったんだけど、正直に言っちゃいますね、

   「宮さん 年金が付くんですよ」っつったら

   「え、いくら?」っつって(笑い)

富野:宮崎さんだってそういう立場にいるってのはわかる。

   だってさ、あのときフリーで、ヒットしてない作品やってた人間としたら・・・

鈴木:宮さん、カリ城のあと、アニメーションから足洗おうとしてたんすから。

富野:だからナウシカで連載始まって、映画までやっちゃっていいのかなって思ったけれど、

   色んな意味で気になって、見に行って、ほんとにホッとした。

   これで、なんとかなると思った。

   けれど、鈴木敏夫に捨てられたっていうことだけは絶対に忘れない!

鈴木:ナウシカは生活費だった。

   露骨な話しちゃうと、ナウシカ書き始めて宮さんが

   「これ1枚いくら?」っていうから

   「1万円」っていったら

   「生活できない!」って言い出して大変だったんですけど。

富野:公開したばっかで当たるとは思えないもんね。

   ようやく興行として形になったのはうれしかった。

   だけど、今言った捨てられ感というのは、ずっとわだかまりとして

   つい最近まで持ってました。

鈴木:富野さんのことは、ほんと、感謝してるし

   人間が素晴らしい。それが僕の中にあったから。

   誰とは言わないけど、そうじゃない人もいたんで(笑い)

   だからね、今回の文化功労者のこと、我が事のようにうれしい。

富野:そう言っていただいて、ありがとうと思いましたし

   受賞したことで、おめえだけの問題じゃないんだよということを

   教えられたから、良かったなと思ってるし、

   なんで僕に”文化”が付くんだろうって、ほんとに考えたもん。

鈴木:富野さんがいなきゃこうなってない。

   みんなが作品を発表する場ができたし、それに僕らも乗った。

富野:逆に最近、不勉強だったこと、釘を刺されるようなことも教えられて。

   中国のアニメがどうやってこの2、3年台頭してきたか、国家との関係、

   そういうことを考えると、今の日本、ヤバイよね、と思うようになった。

   北京近辺の制作会社が確実に実力を付けてきていて

   日本のアニメを問題にしていない。

鈴木:つい1年位前、中国で大ヒットしたアニメのプロデューサーは

   世界の色んなところから映画祭に出すように推薦されたが、全部断った。

   「今、中国のアニメーションは世界に出せるレベルではない」

   そういう人もいる。

富野:そういう部分もあると言いつつ、やっぱ国策に乗ったところで

   頑張っているプロダクションもあって、

   地盤が強固になってきてることを、この半年、1年、痛感している。

   だから今の日本の体制ってこれでいいのかなって。

   色んな意味で底入れしなきゃいけないなっていうことが分かってきたんで

   この歳で功労者もらって、これ以後も功労しなくちゃいけないのって

   ちょっと過酷だなあって(笑い)

鈴木:最後まで現役でいられるって幸せですよ、多分。

富野:そう思うからこそ、どういうふうにしたら

   元気に死んでいけるかってことを考えるようになった。

   今回、こういうことで元気に死ぬということを裏打ちされちゃったんで

   迂闊に死ねないんだよね(笑い)、辛い。

鈴木:富野さんの世代ってみんな強いんですよ。宮崎もそうだけれど。

   僕がショックなのは、高畑さんが亡くなっちゃったこと。

   亡くなるとき、大変でしたよ。やりたいことまだ一杯あるんだっつって。

富野:でしょ。

   と言いつつ、自慢じゃないけど、宮崎さんのことからおわかりの通り

   僕も80になりました!

   80になって、これから何かしろって言っても無理です!(笑い)

鈴木:ブチブチブチブチ、宮崎も言ってますよ。

   「みんな死んでいきやがる」っつって。

富野:そういう意味では高畑さん、死に際、よかったかもしれないなぁ。

   元気に死んでいったってことじゃないのかなあ。

鈴木:僕が病院に行って、ベッドの上で

   「僕は死にたくない」つって、

   弱々しいんじゃないんですよ、すごい強い調子で

   「死にたくない」とかなんとか言っちゃって。

富野:それはきついなあ。

鈴木:あれもやりたい、これもやりたいって並べてましたからね。

   あの人はそういう人ですから。

富野:そういう意味では欲深で良いと思う。


ー幕間ー


鈴木:随分、僕ね、富野さんから高畑さんのこと聞いてるんですよ。

   そんなにすごいのか、とかね。

   宮さんのことはちょっと言い方違ってたけど。

富野:全然、憶えてない。

鈴木:高畑さんの家に行って、とかね。

富野:あれが僕にとっては徹底的なトラウマで。

   パクさんのところにピアノがあるってのが許せないわけ(笑い)

   お嬢さんや奥さんが弾いてるってなら話はわかるじゃない。

   「僕がやってるんですよ」って言われたときは・・・

鈴木:だって本人がやるために・・・(置いてる)

富野:そう。だからあれ聞いたときはガックリ来たからね。

   つまり人の在り方とか才能の在り方。あ、これなんだよね。

   俺にはそういう持ち物がないっていう意味での隔絶感。

   鈴木敏夫に捨てられたときよりも大きかった。

鈴木:またそういうこという(苦笑)

富野:そういう意味ではパクさん、圧力あるよね。

鈴木:僕はね、大塚康生っていう人にほめられたことがあるんですよ。

   「パクさんはプロデューサーが毎回違う。

   鈴木さんはもう何本目だっけ」(笑い)

富野:大塚さんっていう人は下請けをずーっとやりながら色んな人を見てたから

   その評価論ってのは高いよね。

鈴木:富野さんとアニメージュで対談していただいたり

   あのときなんか本音対談で、ほんと良かったし。

富野:今こうやって、ほんと久しぶりでパクさんていう言い方をして

   パクさんのことを喋れちゃうっていう、あの押しの強さっていうのは、

   色んなことを教えてもらったなって感じが・・・

   ・・・一番ほんとのこと言っちゃうと、

   初めて『アルプスの少女ハイジ』のコンテやらせてもらったとき

   全然わからなかった、パクさんのこと。

   この人、コンテ丸投げでやらせて、なにもしないで次のことやらせてるって

   この人、おかしいんじゃねえのって、思ってたからね。

   なぜ、こうだったのかっていうことを、結局『ハイジ』を通して分からせてもらってた。

鈴木:今日だから、おべんちゃら使うわけじゃないけれど、

   宮崎も『ハイジ』、その他、ずっとコンテ見てきたじゃないですか。

   「良かったのは富野さんだけ」って、これは何回も聞かされてますから。

富野:逆にそう褒められれば褒められるほど、

   宮崎の野郎だな、このコンテ、手を入れたのは、ってのは分かるから(笑い)

鈴木:まったく使えない人がいっぱいいたんだよ、っつって(笑い)

富野:それでいて、自分自身が今度、コンテをもらって直しながら使うようになるじゃない。

   あ、 俺のコンテでどういうふうに便利だったのかって、よく分かる(笑い)

   直しやすいんだよね。

鈴木:使うところがいっぱいあったっつって。

富野:いつも言ってることがあって、

   どうしようもないコンテでも、なければいけない、

   コンテがないと、やはり仕事ができないってのがあるから

   まあ、そういう部分では役に立ったんだろうなっていう風には

   思ってはいたんだけども、今の話、初めてよ、聞くの!

   30年前に言ってほしかった!

鈴木:他の人のやつなんて可哀相ですよ。だって、なんも使ってないんだもん。

富野:だけど僕が他のコンテマン使うようになって、全部、総直ししてるわけよね。

   だけどコンテがないと総直しができない。それは存在意味として認めるんでね。


ー幕間ー


鈴木:漫画雑誌で手塚さんと仲良くなっちゃってて、辞めて今度

   アニメーションの雑誌やるんですよって言ったら

   協力させてよっつって(笑い)

   それで、皆さん集まっていただいて喋ったでしょ。

   一番目立ってたの、富野さんですよ。

富野:記憶がちょっと違う。座談会だけで憶えちゃってるから

   アニメージュの創刊号のことは全く知らないわ。

   知らないから腹たってるわけ。2号目のときに表紙に使ってもらって

   尾形って編集長に初めて会って、この、芸能誌あがりのこの野郎って

   ムカーっときたって憶えがあって。

   あの編集長を黙らせなくちゃいけないと思いつつ

   ガンダムが始まっちゃったおかげで、担当記者が張り付いてくれたの。

   その付き合いがずっとガンダム終わるまで続いた。

   そういう、入れ物としてのアニメージュがあったというのが

   正直、ものすごく助かった。

   あと、この担当編集者が学生だった・・・皆さん、知ってるよね。

鈴木:橋本真司。

富野:最終的にはゲーム会社の大重役にまでなって、

   700億の予算を使い切るということまでやったという人で

   そういう意味での印象があるんで、その橋本さんという学生を通して

   アニメ雑誌を継ぐのかよ、というのが一番大きくあった問題。


(ここまででradikoの再生制限時間切れとなったため書き起こせず)

(前回の反省からradikoをWin10の画面録画で保存して書き起こすことに)


《後編から》


富野:アニメが商売として大人しくなっちゃって

   そういうのをどうしたらいいのかなっていうことを

   ついに今年、言葉にできるようになったの。

   だからゲームからのインテリジェンスみたいなものをもらいたい、

   ということが意識として働き始めてる。

   それから中国のアニメ界。

   僕が北京大学で講義したとき、1500人くらい学生が来た。

   それから10年経って、そりゃあ、あいつらが起ち上げるよね。

   国の状態の問題はあるけど、そういうのとは関係なく

   アニメでモノを作っていくっていうことを、そろそろ日本人も

   もうちょっと根本的なところを考えていく必要があるんじゃないのかな。

   今のアニメの文化論ってどうなのって気になると思いません?

   そうなってくると否でも応でも

   功労するだけのことはしないとまずいんじゃないのかなって思い始めて。

鈴木:いやもう、死ぬまで頑張ってください(笑い)

富野:そういう、目標値を持つしかないんだよね


ー幕間ー


鈴木:著作者っていう意識があった。

   映画界って遅れてて、作る人の権利を認めないとか。

   なんでかっていうとやっぱり出版社で、小説家や漫画家を見たりして

   彼らも戦ってきた。

   それと同じようなことをアニメーションで出来ないのかなって

   途中から思ったのは確か。そういうのを雑誌で出来ないかなって。

富野:僕の立場でいうと、映画雑誌っていうのがありましたよね。

   映画雑誌と言いつつ結局、監督論とか作家論はほとんどなくて

   大体、俳優論なわけ。

   逆に評論誌になっちゃうと、自分が論を張れる”論者”になっちゃってて

   映画のことはひょっとしたら考えてる人たちじゃないよね、

   っていうことがあったんで、だったらアニメージュで

   逆に役者がいないおかげで、作家論ができるとこまで持っていけないかな、

   映画誌がやってないことをきちんと発信できるようにしたいなとは思った。

   けど、一つだけ大問題があったのは、橋本くんがまだ学生でしかなくて(笑い)

   一方的に僕が資料を提供するような形になっちゃったんで

   今、言ったようなことを思いつつもできなかったっていう悔しいところはある。

   だから、鈴木敏夫っていう編集者あがりがきちんと来てくれた、

   これからはなんとかなるな、と、気分としてはハグしてた。

   そしたら、いつの間にか、アレって、いなくなってた(笑い)


 ー幕間ー


富野:結果論かもしれないけど、

   二足のわらじを履け無いような創作業をやってきたおかげで

   文化功労者まで来たっていうのは、自動的に

   1人の人間がやれることはこんなもんだよねって幅も示すことができた。

   なによりも、半世紀以上よ、ひとつの仕事をやって。

鈴木:例えば、バンダイのキタデさんという人が僕のところに来て

   「ガンダムプラモっていうのを高校生以上に売りたい」って、

   それが24P特集ですよ。

   結果、色んなことが起きたじゃないですか。嬉しかったですよ。

富野:狙い目を設定できるっていうのは、まさに職業人でもあるし仕事師でもある。

   だから、これ以後の課題を考えたときに、そういう目線を持ってくれる

   プロデューサー、経営者がほしい。

   そういう人を待ってるんじゃなくて、発掘するしかないのかなって

   いうところまできてて、最近、困ってる部分があるわけ。

鈴木:バンダイは面白い人を輩出したもん。

   超合金の村上さんとか、すごかったですよね。


ー幕間ー


富野:もうアニメとかアニメ絵、アニメキャラクターというものが

   特別なものではなくなった、サブカルではなくなってしまった

   というのがわかったから、一段落はしたんだけれども

   みんなが当たり前に享受することだけになっちゃって

   溺れてるような感じがある。

   こんなんじゃねえんだよ、っていう気分がない。

   実を言うとね、3ヶ月くらい前に、生まれて初めて

   今年受賞した芥川賞、直木賞の短編を読んだ。

   それで、小説の短編の世界に、ものすごいハングリーな人がいて

   みんな若くないのよ。30代、ぼやぼやしてると40代。

   自分たちの生きる場所を求めて、こういう書き方をしてるっていうのを

   見せられて困ってる。

   だけど、そういう創意はあることだけはわかってきたので

   そういうコンタクトをしてくれるプロデューサーなりなんなりが出てきてほしい。

鈴木:さっき富野さんがおっしゃったように、享受する、

   作り手の側にまわらない、それですよね。

   みんな満足しちゃってる。

富野:そういう意味でいうと、あんまり忌み嫌わないで

   中国・韓国のことは見つめてほしい。

   孫に教えられたの、

   今のK-POPはとても大事だ、素晴らしい(笑い)

   初めて見たもん。で、やっぱり見事だなと。

   ああいうものを見せるとか作るとかに対して

   直進していかないクリエイターっていうのは

   今の日本に一番足らない部分じゃないのかな。

   なんだかんだいって、今の日本は安全だから

   恵まれてる環境から生まれることは無いんだけども

   やっぱり、そろそろハングリーの部分を思い出してほしい。

   そうしないとおまえら、韓国や中国に負けるぞ、って話。

鈴木:YouTube見てると、オーディション番組色々あって

   女の子や男の子たちが踊ったりしてるけど

   この人達、韓国なのって聞くと

   違う、韓国・日本・中国・タイ、みんな入ってるって。

富野:さっきから世代論の問題として

   僕もパクさんとか宮さんを意識もしていたんだけど

   それだとこれから10年、20年は対応できないんだから

   ベースを今言ったようなところに移していかなくちゃいけないってことを

   意識しはじめた。

鈴木:『アーヤと魔女』っていうのを作ったんですけれど

   実際やった人は世界中ですよ、スタッフは。

   タンセリくんっていうかたがマレーシアから来て

   そしたら世界中から彼のもとでやりたいって

   気がついたら多国籍軍ですよ。

   その人達がすごい力を発揮した。もう勝てない。

   みんな、とっくに国境は越えてるし、率直。

   僕の本なんか持ってきて「サインしろ」って、躊躇わない。

   そういうの見てると、あ、世界は変わるんだなって。

富野:というのと、ハングリーだったからでしょ、今までが。

   今の日本人には、それを求めようと思っても求めようがないから。

鈴木:『アーヤ』やってて

   台風や地震、津波が来て大変だったりとかあったんですけれど

   その間、ビクともしないのは、外国の人たちなんですよね。

   淡々と仕事をこなしている。慌てふためくのは日本のスタッフ。

   外国の人達はすごい!

   僕が通りかかると、

   「ちょっと今、時間ないか。みんな呼ぶからミニレクチャーやってよ」

   で、会社の隅っこのほうで話し合いが始まる。あれはすごい。

富野:今の日本の環境で生まれてる日本人には、その向上心はないもの。


 ー幕間ー


鈴木:オランダ人の監督とやったとき、パリの郊外で作ってて

   現地で監督が

   「鈴木がうらやましい、日本語だけだろ」

   「僕ら、オランダ語だけだったら世界で生きていけない」

   そういうことなのかと思って。

富野:やっぱり日本人って楽(らく)しすぎてるんだね。

   今の若い人は。

   それを喚起するにはどうしたらいいかって考えると

   やっぱ新しい物語を提供していくしかないのか。

鈴木:でも世間の状況で言うと、もうすぐ過酷な時代がやってくる。

   みんな貧乏になりますよ。

富野:だから今年あたりの、作家の切迫感にびっくりした。

   その切迫感というものを作品にしていくということで

   自己啓発をしていくという時期が出て来てるな、という話を

   この歳でするのは辛いから勘弁してくれ!

鈴木:でも若い人たちは頑張りますよ。期待してる。


ー幕間ー


鈴木:僕はアニメージュというもので初めてアニメーション界に接して

   世間でどういう受け止められ方をしてるか直ぐわかったから

   市民権を取りたいと思った。そのために、あらゆる努力を払った。

富野:市民権をこうやって得られたかもしれない次は

   豊かになりたい、有名になりたい、成功者になりたいと思った。

   後から追いかけてきた漫画界に、あっという間に

   アニメの仕事をやってる我々には、高嶺の花の稼ぎ手が出るようになってしまった。

   この事実を見たとき、こいつらを超えるだけの高収入を

   得ることができるだろうか、という課題が見えてきた。

   ところが、こういうあからさまな言葉遣いをして、

   自己喚起をしなくちゃいけない時代が来たんだということを

   今のアニメ業界の人たちは、あんまり意識を持っていない。

   どっか甘ったれてるところがあるし

   ひょっとしたら、アニメではもういいんだって気が済んでるのかもしれない。

   だけど、そうじゃないんだよって、こんなもんじゃないだろうって思ってほしい、

   そういう作品作りを、我々の世代はしていかなくちゃいけないんじゃないか

   と、なったときに、

   次の宮さんの企画には期待が持てますね、って嫌味を言えますね(爆笑)

鈴木:頑張ってください、富野さん!

   相変わらず元気ですよね。

富野:そういう、元気になれる目線を自分の中で持てないと

   自分が萎えるんだもん。

   2,3日も生きてられるかって、自信がないんだもん。

   ほんと、それが怖いから。

鈴木:僕、ちょっと心配してたのに、余計なお世話だったなっていう。

富野:自分で一所懸命、鼓舞するしか無い。

鈴木:はい、頑張ってください、ほんとに!

富野:そういう意味では、若い人がいてくれていいんですよっていうことで

   今、突発的に思い出したんだけど、庵野には負けたくない!

(一同爆笑)


ー幕間ー


富野:アニメージュグランプリ、イベントとして良かった。

   今まで、スタッフサイドの人間が観客の前に出るってことは

   ほとんどなくて、その習い性が大っきらいで

   観客の前に出るなら、出るようにして見せろよと思ってほしかった。

   たまたま僕はアニメグランプリの、武道館でやる第一回目のときに

   舞台に立てますよっていうことがあったので

   千人の観客がいるところに行くんだったら、普段着では行けないだろう、

   そういう意識を持つべきなんだ、スタッフでも。

   一度、これをやっておけば後続部隊がいるだろうと意識してたが

   出てこない、という事態を見て

   やはりアニメのスタッフというのは、

   社会性に対して感度が低いんだな、というのを感じた。

   だから宮崎さんが偉いのは、アメリカに行ってまで、

   タキシードを着て出てくれる形になったときに、やれやれと思うわけ。

   この2,3年でいえば細田監督までが、

   タキシード着て映画祭に出れるようになって、ほんとに良かった。

   どういうことかというと

   アニメという媒体も自分勝手に作っていいもんじゃなくって

   社会に対しての存在意義がある。

   まして、それが国内だけでなく、海外でも認められる存在になったんだから

   ご挨拶に行くときに普段着じゃ困る、

   というようなことが、ようやく細田監督の時代になって、

   できるようになってきた。

   作り手であればあるほど、自己宣伝ではなくて、

   業界を背負ってるんだよという意識を、みんな持ってほしい。

   ということがあったので、アニメグランプリの第一回のときから

   白の上下を着るということを恥ずかしげもなく、やってみせた。

   だけどそれを、今言った人以外、やってくれてないのは

   やっぱ駄目だよね。

   人の行為の在り方というものを、もう少し意識する必要がある。

   だけどアニメや漫画のスタッフは、全部がデスクワークになってしまうので

   社会性を持ちにくいかもしれないが、それはやめてほしい。


ー幕間ー


富野:美術品でもなんでもないものを展示するようになっちゃったのは

   してもいいんだよということを、村上隆さんから教えられた。

   例えば、夏目漱石の手書きの原稿を展示するじゃない。

   あれとおんなじと考えれば良いんだよって、

   それでおしまいです。

   そのことの持ってる意味は それぞれが考える必要があるってだけで

   こんな変な絵、下手な文章、字を展示している

   この”トミノ”ってのは一体なんなんだ、

   っていうことを考える人が、100人に1人くらいは出てくるかもしれない。

   それを考えてくれる子というのは、恐らく、今、10~13歳くらいでしょう。

   その子たちが、こういうものを考えることができれば

   こういう風に世間に認められるようになるかもしれない

   っていう指針になるかもしれない。

   そういう才能が、若い世代に来るということは、やはり信じてますね。



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